さらさらと私の頭上に降り注ぐ雨が、傘を濡らす。
私が生まれてからの記憶で、この雨が止んだことは一度もない。歩きながら水で満たされた空を見上げ、すぐに前を向く。ここをまっすぐ行った突き当りの店で、幼馴染であるカイトと待ち合わせをしている。相変わらずの雨がもし止むことがあったなら、それはいつだろうか。くだらないことを考えていたら何かにつまづいた。
「あーあ……」
履いた長靴の中に水が入り、ぽちゃぽちゃと音を立てる。一度道の脇に寄って長靴を脱ぎ、水を捨てる。ひややかなそれは私の足を濡らし、じめじめと不快な気持ちにさせた。
「遅いよミナモ」
紅茶を飲みながら待っていたカイトは、ふるわない私の表情に気づいてその原因を瞬時に探し出した。足元を見て声もなく笑みを浮かべ、自分の鞄からタオルを取り出すと私へ寄越す。
「拭いて」
「ありがとう」
「この雨の街で、ミナモは何年暮らしている? 歩き方が下手だね」
「ちょっとつまづいて……」
「怪我はなかったかい?」
「それは大丈夫。タオル、綺麗にしてから返すね」
カイトは気にするなとでも言うように、私の手から使用済みの濡れたタオルを静かに奪い、ビニール袋に入れてから鞄に仕舞った。
「……ありがとう」
「いや、いい。今日はどうしてもミナモに会いたかったから。僕が呼んだ所為で、足が濡れた」
「何か用だったの?」
カイトはまた声もなく笑い、私にメニューを差し出した。
「まあ、のんびり話そう。好きなものを頼んで」
「じゃあ、ホットパイン」
「ここの人気メニューだね。――注文お願いします」
奥に声を掛けると、メイドロボットがすぐにやってきて私の注文したホットパインのカップを置いていった。とてもシステマティックで、迅速な対応だ。ここに人間は客以外いない。
「さてと本題。僕が何故ミナモと会って話をしたかったのか、最後まで聞けばわかるだろう。これからするのは、時計の話だ」
「時計? 時計って、時を刻む時計よね」
「そうその時計のことだ。ただしそれは、ミナモの知っている時計とは少し違うかもしれない」
カイトは窓の方に顔を向け、降りしきる雨を眺めながら何かを考えているようだった。私は言葉を急かすことをせず、ホットパインに口をつけながら辛抱強く待つ。
今日はやけに静かに思えた。
店の音楽も途絶えている。外の雨の音がかすかに店内にも届き、単調な音を繰り返すのみだ。けれどそれは心地よい。胎内回帰するかのような錯覚を覚える。
「この雨の街の外に、出ようと思ったことは?」
「外なんてないでしょう?」
カイトの言わんとしていることがわからなかった。私は自然と首をかしげ、淡々とした表情の彼を見つめる。この雨の街は閉鎖されていて、どこにも行くことなんて出来ない。選択肢にないのだ。
「僕はずっと考えていたよ。ここの外に出たなら、それはどんな世界なんだろうって」
「馬鹿ね」
「馬鹿かな」
「出られるわけがないじゃない。……で、時計の話はいつ出てくるの?」
「もう始まっている」
きっと黙って聞いていればわかるのだろう。私は茶々を入れることはやめて、カイトの言葉を待った。
「あの空をよく見てごらん」
「空……? 雨が降っているだけだわ」
「そう。雨が降っている。空の中心をよく見て」
「中心……」
中心がどこだかわからなくてうろうろと目を彷徨わせていたら、カイトが時計台を指し示した。
「あの時計台の先が、空の中心」
カイトの言う空の中心に視点をやる。降り注ぐ雨は、空の中心からばらまかれているように見えた。
「……え、なあに。あれってずっとそうなの?」
「気づかなかったのか、ミナモ」
「だって……雨は降るものだから。どこから降ってくるかなんて、気にしたこともなかった」
「まあ、そうか……大多数はそう思うかもね。授業でもそんなことを教えてはくれない。疑問に思うほうが、どうかしているのかもしれない」
カイトは気難しそうな顔になって、空になった紅茶のカップを置いた。メイドロボットがすぐにやってきて、カップを下げると同時に追加注文がないか聞いてくる。
「ホットパインを」
私と同じものを注文すると、メイドロボットは奥に下がっていった。
「話を続けよう」
「……うん。いいけど」
「僕たちが住んでいるこの雨の街。ここは水時計の中なのさ」
「水……時計?」
「もうすぐ雨は止む。そうするとどうなると思う? ミナモは砂時計を見たことがある?」
「あるわ」
砂時計は、ガラスの中で砂がさらさらと移動し、すべてがなくなれば勿論砂も止まる。それをひっくり返して、また時間を計る道具だ。
「水時計も砂時計と同じ。雨が止んだら、世界はひっくり返る」
「……どういうこと?」
「僕たちのいるこの世界は、空になるということだよ」
「カイト。言っている意味がわからないわ」
「死ぬということだよ。この降り注ぐ雨の正体を知っているか? ひっくり返った世界の住人の、命だ」
カイトの言っている意味が、まるでわからなかった。
彼は何か悪い夢でも見ているのではないだろうか。あるいは妄想に取りつかれてしまっているのか。けれど雨は確かに小降りになり、少しずつ止みそうにも思えた。このまま雨が、止むのだろうか。
「最後の日に、ミナモ。君と一緒にいたかった」
カイトは寂しそうに呟いて、メイドロボットが持ってきたホットパインを一口飲んだ。
「酸味が効いてるな」
「ホットパインだもの」
「ほら空を見て。もうじき雨が止む」
カイトの手が私の手に伸びてぎゅっと握った。それを握り返して、私は空の中心を見つめる。
世界が揺れた気がした。
水時計の世界が揺らぎ、私たちは空に――落ちた。
私たちは新しい雨の街に降り注ぐ、雨となるのだ。最後にそう思ったのは私だったのかカイトだったのか、今はもう定かではない。
私とカイトは混じり合う。
水時計の世界の終わりが来るまで、空から地面へ降り注ぐ、雨となる。
私が生まれてからの記憶で、この雨が止んだことは一度もない。歩きながら水で満たされた空を見上げ、すぐに前を向く。ここをまっすぐ行った突き当りの店で、幼馴染であるカイトと待ち合わせをしている。相変わらずの雨がもし止むことがあったなら、それはいつだろうか。くだらないことを考えていたら何かにつまづいた。
「あーあ……」
履いた長靴の中に水が入り、ぽちゃぽちゃと音を立てる。一度道の脇に寄って長靴を脱ぎ、水を捨てる。ひややかなそれは私の足を濡らし、じめじめと不快な気持ちにさせた。
「遅いよミナモ」
紅茶を飲みながら待っていたカイトは、ふるわない私の表情に気づいてその原因を瞬時に探し出した。足元を見て声もなく笑みを浮かべ、自分の鞄からタオルを取り出すと私へ寄越す。
「拭いて」
「ありがとう」
「この雨の街で、ミナモは何年暮らしている? 歩き方が下手だね」
「ちょっとつまづいて……」
「怪我はなかったかい?」
「それは大丈夫。タオル、綺麗にしてから返すね」
カイトは気にするなとでも言うように、私の手から使用済みの濡れたタオルを静かに奪い、ビニール袋に入れてから鞄に仕舞った。
「……ありがとう」
「いや、いい。今日はどうしてもミナモに会いたかったから。僕が呼んだ所為で、足が濡れた」
「何か用だったの?」
カイトはまた声もなく笑い、私にメニューを差し出した。
「まあ、のんびり話そう。好きなものを頼んで」
「じゃあ、ホットパイン」
「ここの人気メニューだね。――注文お願いします」
奥に声を掛けると、メイドロボットがすぐにやってきて私の注文したホットパインのカップを置いていった。とてもシステマティックで、迅速な対応だ。ここに人間は客以外いない。
「さてと本題。僕が何故ミナモと会って話をしたかったのか、最後まで聞けばわかるだろう。これからするのは、時計の話だ」
「時計? 時計って、時を刻む時計よね」
「そうその時計のことだ。ただしそれは、ミナモの知っている時計とは少し違うかもしれない」
カイトは窓の方に顔を向け、降りしきる雨を眺めながら何かを考えているようだった。私は言葉を急かすことをせず、ホットパインに口をつけながら辛抱強く待つ。
今日はやけに静かに思えた。
店の音楽も途絶えている。外の雨の音がかすかに店内にも届き、単調な音を繰り返すのみだ。けれどそれは心地よい。胎内回帰するかのような錯覚を覚える。
「この雨の街の外に、出ようと思ったことは?」
「外なんてないでしょう?」
カイトの言わんとしていることがわからなかった。私は自然と首をかしげ、淡々とした表情の彼を見つめる。この雨の街は閉鎖されていて、どこにも行くことなんて出来ない。選択肢にないのだ。
「僕はずっと考えていたよ。ここの外に出たなら、それはどんな世界なんだろうって」
「馬鹿ね」
「馬鹿かな」
「出られるわけがないじゃない。……で、時計の話はいつ出てくるの?」
「もう始まっている」
きっと黙って聞いていればわかるのだろう。私は茶々を入れることはやめて、カイトの言葉を待った。
「あの空をよく見てごらん」
「空……? 雨が降っているだけだわ」
「そう。雨が降っている。空の中心をよく見て」
「中心……」
中心がどこだかわからなくてうろうろと目を彷徨わせていたら、カイトが時計台を指し示した。
「あの時計台の先が、空の中心」
カイトの言う空の中心に視点をやる。降り注ぐ雨は、空の中心からばらまかれているように見えた。
「……え、なあに。あれってずっとそうなの?」
「気づかなかったのか、ミナモ」
「だって……雨は降るものだから。どこから降ってくるかなんて、気にしたこともなかった」
「まあ、そうか……大多数はそう思うかもね。授業でもそんなことを教えてはくれない。疑問に思うほうが、どうかしているのかもしれない」
カイトは気難しそうな顔になって、空になった紅茶のカップを置いた。メイドロボットがすぐにやってきて、カップを下げると同時に追加注文がないか聞いてくる。
「ホットパインを」
私と同じものを注文すると、メイドロボットは奥に下がっていった。
「話を続けよう」
「……うん。いいけど」
「僕たちが住んでいるこの雨の街。ここは水時計の中なのさ」
「水……時計?」
「もうすぐ雨は止む。そうするとどうなると思う? ミナモは砂時計を見たことがある?」
「あるわ」
砂時計は、ガラスの中で砂がさらさらと移動し、すべてがなくなれば勿論砂も止まる。それをひっくり返して、また時間を計る道具だ。
「水時計も砂時計と同じ。雨が止んだら、世界はひっくり返る」
「……どういうこと?」
「僕たちのいるこの世界は、空になるということだよ」
「カイト。言っている意味がわからないわ」
「死ぬということだよ。この降り注ぐ雨の正体を知っているか? ひっくり返った世界の住人の、命だ」
カイトの言っている意味が、まるでわからなかった。
彼は何か悪い夢でも見ているのではないだろうか。あるいは妄想に取りつかれてしまっているのか。けれど雨は確かに小降りになり、少しずつ止みそうにも思えた。このまま雨が、止むのだろうか。
「最後の日に、ミナモ。君と一緒にいたかった」
カイトは寂しそうに呟いて、メイドロボットが持ってきたホットパインを一口飲んだ。
「酸味が効いてるな」
「ホットパインだもの」
「ほら空を見て。もうじき雨が止む」
カイトの手が私の手に伸びてぎゅっと握った。それを握り返して、私は空の中心を見つめる。
世界が揺れた気がした。
水時計の世界が揺らぎ、私たちは空に――落ちた。
私たちは新しい雨の街に降り注ぐ、雨となるのだ。最後にそう思ったのは私だったのかカイトだったのか、今はもう定かではない。
私とカイトは混じり合う。
水時計の世界の終わりが来るまで、空から地面へ降り注ぐ、雨となる。
――――――
空色ワンライ12回
お題「時計」
★雨が途中で止むこと
★なにか重要なことを告白すること
お題に沿って、1時間で書きました。